今日の聖句4月1日(土)\(^o^)/ あなたがたは、わたしの命令を守り、これを行え。わたしは主である。 レビ22:31 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。 1ヨハネ5:3 ************************* 今週のテーマ:真の羊飼い きょうの聖書:イザヤ53:4-8 イザヤ書53章5節6節 彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 「御子の死」 ここに苦難を受ける救い主の姿が鮮明に描かれています。イザヤはイエス・キリストが生まれる700年以上も前にエルサレムで活動した預言者です。そういう時代にどうして救い主が全世界の人々の罪の身代わりになって処刑され、人々に罪の赦しという救いを提供するということが言えたのでしょう。 それは明らかに神様の人類救済のご計画があったということです。イザヤはイスラエルが神様から離れた様子を迷子になった羊に例えています。神様はその民に救い主を送って、羊飼いが羊を牧場に連れ戻すように、母国に連れ戻すと約束しています。私たちも神様の愛の世界である神の国に連れ戻されたのです。 私たちはイエス・キリストが私たちの罪の身代わりとして死んでくださった事実をその出来事が起った後で知ることができています。十字架以前の人々は神様の永遠の愛を知ることは難しかったかも知れませんが、私たち現代人が十字架に現わされた神様の愛を拒絶するなら、バビロンに捕囚とされた人々よりはるかに重い処罰があることを知らなければならないと思います。 私たちが神様に受け入れられ、神様の愛に包まれて生きることができるようにするために、神様が支払った御子の死という犠牲は言葉では言い尽くせない大きな痛みを伴ったものだったのです。これをどう受けとめるか、そしてどう応じるか。それが私たちの責任なのです。素面になって罪を悔い改めて憐れみを受ける以外にありません。 祝福を祈ります。