今日の聖句3月31日(金)\(^o^)/ あなたは海の高まりを治めておられます。その波がさかまくとき、あなたはそれを静められます。 詩篇89:9 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。 ルカ8:24 ************************* 今週のテーマ:真の羊飼い きょうの聖書:エゼキエル34:11-24 エゼキエル書34章11節12節 まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。 「捜し出す神」 捕囚前、エゼキエルはエルサレムで祭司の職に就いていました。捕囚とされバビロンに移住した後に神様のみことばを語り告げる預言者として用いられるようになりました。捕囚民には彼らを守り導く牧者が必要だったのですが神様ご自身が牧者として世話をするとエゼキエルを通して宣言されたのです。 国が滅びて国土も国王もなくなり国民も散り散りになってしまいました。そういう状況の中で神様が国民を捜し出して一つの民としてまとめ上げ再び神の民として養い導くと言われたのです。神様は行方の分からなくなった人をご自身から出向いて探し出してくださる御方です。 私たちは自分が信仰に迷ったときも神様が探し出してくださると知っているので祈って神様の助けを待つのです。私たちが神様に向かって声を上げるなら神様は即座に私たちの祈りの声に応じて迷いから救出してくださいます。だから祈ることを止めて神様に見つからないように物陰に隠れてしまうようなことはしてはならないのです。 ルカの福音書15章には失った銀貨や失った羊を探す人の物語があり、その続きには放蕩息子の物語が続いています。これらの挿話は神様が失われた人々に手を差し伸べ続けていることを教えています。誰かが躓き、或いは誰かに躓いても絶望することなく、神様が捜し出して元に戻してくださることを信じて待つのです。神様が良い結果を届けてくださいます。 祝福を祈ります。