今日の聖句3月25日(土)\(^o^)/ だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。 わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。 イザヤ41:4 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。 エペソ1:20-21 ************************* 今週のテーマ:キリストの愛につながる きょうの聖書:ヨハネ15:12-17 ヨハネの福音書15章12節13節 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 「キリストの友」 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(12)と言われていますので、イエス様の命令を守るとすれば、それは私たちがイエス様の愛の中にとどまり、互いに愛し合うことです。イエス様から愛され、隣人を愛すならその人はキリストの友だと教えられています。 聖書で「神の友」と呼ばれたのはアブラハムただ一人だけです。「王の友」と呼ばれたのはダビデを支えたフシャイとソロモンを支えたザブデの二人だけです。「王の友」は朝起きて、すぐにズカズカと王の部屋に入ることを許されていた特別な人でした。どんな大臣や貴人が王と語るよりも先に王と語る特権を持っていた人、それが「王の友」です。 神の国の王であるイエス・キリストが弟子たちにその特権を与えたということであり、私たちクリスチャンもその特権に与っているということです。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(13)ですが、命を捨てる人とはイエス様で、友とは弟子たちと私たちです。 私たちはそのような大きな愛で包まれているのです。地球が大気ですっぽりと包まれているように私たちは、聖霊様に包まれており、イエス様の愛で包まれているのです。この愛の外へ出てしまうということはありません。これはすべて福音宣教のためです。自分が誰に何をすればその人を愛したことになるのかを考えて今日一日を生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。