今日の聖句3月21日(火)\(^o^)/ 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。 イザヤ53:3 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。 ルカ23:25 ********************* 今週のテーマ:キリストの愛につながる きょうの聖書:ヨハネ4:13-21 ヨハネの福音書4章13節14節15節 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 「生きる力」 スカルという小さな村の近くにある「ヤコブの井戸」の傍でのイエス様とサマリヤの女性の会話の続きです。井戸の水は喉の渇きを癒します。キリストが与える水は心の渇きを癒します。イエス様の水は聖霊で、癒しは救いの喜びです。身体的必要と心の必要は生きる力という意味でとてもよく似ています。 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。」といわれたイエス様のみことばをこの女性は身体の必要と心の必要とで勘違いして聞いてしまいました。おなかが減っているときに食物を食べない人はいませんが、心が飢え乾いても心に水と食べ物を供給しない人が多いのです。 「わき出す」という言葉は、間欠泉が勢いよく吹き上がるようにという意味のことばです。イエス様の水を飲むものは、たとえ周りがどんな状態でも自分の内側から「ズバッ」とわき出る勢いのある喜びと、優しい潤いを持つことができるというのです。イエス様ご自身がその泉そのものです。イエス様を心に迎え入れる人は永遠のいのちへの水を湧き出させる泉そのものを持てるということです。 この水は、内から外へと湧き出します。この水を飲んだ者は、自分が幸せになり、喜ばしく生きるだけでなく、その喜びは必然的に周囲の人に及んでいきます。イエス様の水を飲む人は神様の視点に立って物事を見られるようになり、みこころに沿って諸問題の解決を図れるようになります。生きる力が身についてくるのです。 祝福を祈ります。