今日の聖句3月3日(金)\(^o^)/ あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。 1列王記8:24 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。 1ペテロ2:3 ************************* 今週のテーマ:全身を献げる きょうの聖書:ヘブル13:7-15 ヘブル人への手紙13章12節13節14節 イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。 「宿営の外」 ヘブル人への手紙は多くのページを割いて犠牲礼拝よりもキリストの贖いの方が人を罪から救う力があると説いています。クリスチャンになったユダヤ人たちはユダヤ教徒であるユダヤ人たちからあざ笑われ迫害されました。イエス・キリストが受難した場所はエルサレムの門の外でした。それで、キリストに従う人はキリストのように門の外で苦しみを受ける事になるのだと述べています。 古代のイスラエルでは、宿営の外に出ることは汚れていることを意味していました。儀式上の汚れがある人は宿営の外にとどまっていなければなりませんでした。しかし、イエス様は私たちを救うために私たちの汚れを引き受けてエルサレムの門の外で私たちの代わりに神様の怒りと刑罰を受けて下さったのです。ユダヤ人クリスチャンはキリストへの忠誠のために、ユダヤ教の伝統、儀式などの安全な囲いから脱出しなければならなかったのです。 私たちクリスチャンは未来を見据える者という特徴を持ってなければなりません。天の御国を見上げて生きるという習慣を身につけることです。それは、地上世界には永遠はなく、天上の世界にこそ永遠の栄光があるからです。今の生活を守る余りに未来に於いて与えられる神様の祝福から目を逸らしてはいけないのです。キリストの再臨と神の国を待ち望む信仰が私たちに悪習慣から離脱する力を与えてくれるのです。 最近まで遠藤周作の「沈黙」という小説が「サイレンス」という副題と共に上映されていました。とても高い評価を受けているようです。二人のカトリックの宣教師が自分の生命を含めて一切を神様に献げて日本人キリシタンを守ったという話しでした。外観的にはキリスト教を棄教したかに見えますが、そこまで徹底して福音に人生を献げた人たちの物語だったのです。 祝福を祈ります。