今日の聖句3月1日(水)\(^o^)/ あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。 出エジプト33:20 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 ヘブル11:1 今週のテーマ:全身を献げる きょうの聖書:創世記22:1-14 創世記22章7節8節 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。 「信仰の発展を促す試練」 アブラハムが100歳の時に後継ぎになるイサクが生まれました。そのイサクが少年期を迎えたときに、神様はアブラハムにイサクを生け贄として献げるように命じました。神様はアブラハムが神様に従うかどうかを試したのです。イサクはアブラハムにとってかけがえのない一人息子であり、自分の存在と自分の未来に希望を与える最も大切な存在です。 神様は、アブラハムにとって、神様が大事なのか、それとも自分の存在と自分の未来が大事なのか、そして、自分の存在と自分の未来を神様に託すのか、それともイサクに託すのかを見ようとしたのです。アブラハムは神様が自分に求めていることが何であるかを理解したので、一昼夜という短時間の内にイサクを献げる決断を下すことが出来たのです。 アブラハムはイサクを献げる決心をしましたが、神様にはイサクを復活させる力があると考えていたのかも知れませんし、「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」という考えもありました。神様のご命令に従っていけば、神様が最後の仕上げの責任を取られるはずだとも考えていたかも知れません。(アブラハムにとってのイサクは神様にとってのイエス様に当たるのです。) 神様はアブラハムがイサクを犠牲にする決断をするかどうかに注目していました。アブラハムがイサクに刀を振り下ろそうとしたその時、「あなたの手を、その子に下してはならない」と神様からの中止の命令が下りました。神様は初めからイサクの代わりに羊を用意していたのです。アブラハムハ神様からの信仰のテストに合格したのです。ここからアブラハムは新しい神様の選びの民の形成という分野に踏み込んで行くことになったのです。個人の信仰から民族の信仰へと発展したのです。 祝福を祈ります。