今日の聖句2月19日(日)\(^o^)/ 主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。 申命記30:9 私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。 2テモテ1:5 ************************* 今週のテーマ:宝を天に きょうの聖書:マルコ10:17-22 マルコの福音書10章21節 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」 「神を愛し、人を愛せ」 ある人が「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか」と質問したときのイエス様の答えがこの21節です。永遠のいのちを自分のものとして受けるとは救いの確信を得るということです。私たちクリスチャンの信仰の出発点は救いの確信を得るという点です。 イエス様はこの人に持ち物をみな売り払らい、貧しい人に与えなさいと言われましたが、この人は、神様や救いよりも財産の方が大事だったからです。私たちの信仰では、神様以上に大事なものが在ってはならないのです。そういう物を聖書は偶像と呼んでいます。イエス様は永遠のいのちを求めるなら偶像を捨てなさいと指導したわけです。 この人は、18節でイエス様を、尊い先生と呼びましたが、イエス様は「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません」と答えています。これはイエス様がこの人に「あなたはわたしをどれだけ知っているのですか」反問したのに等しい言葉です。永遠のいのちは神様から頂くものなので、この人はイエス様を「神様」とか「主よ」と呼ぶべきところだったのです。 この人は「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております」と十戒をはじめすべてのおきてを守っていると言っていますが、この人の欠けたところとは、結局、モーセの十戒の第一戒である「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」という戒めを破っていたことです。イエス様は繰り返し、神を愛し、人を愛せと私たちを導いていてくださるのです。 祝福を祈ります。