今日の聖句2月18日(土)\(^o^)/ わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。 イザヤ65:1 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。 1ペテロ2:10 ************************* 今週のテーマ:真の断食 きょうの聖書:ルカ18:9-14 ルカの福音書18章11節〜14節 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。 「高慢と謙遜」 パリサイ人は神様に祈るためではなく、自分がどれほど善良で信仰心を持っているかを周囲の人々に聞かせる目的で神殿に登ってきています。取税人は自分の罪を認めて憐れみを乞うために神殿に来ました。独善的であることは危険です。それは高慢な姿勢であり、神様から何かを学ぼうとはせず、むしろ他の人を軽蔑する態度になります。 この取税人の祈りは私たちの祈りでもあります。私たちは毎日神様の憐れみを受けて生かされている存在だからです。何かをしたことで高慢になり、神様から離れてしまうというケースは多々あります。しかし、謙遜にへりくだって神様を高く崇め、他の人を尊敬して生きているならば私たちの前途が途切れることはないのです。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」 私たちが欲望の赴くままには生きないという決意と努力は必要です。それは、欲望のままに生きて人生の階段を転がり落ちる人があまりにも多いからであり、私たちもそのような人生に陥りかねない弱い存在であるからです。それで、神様に憐れみを求め、堕落しないように神様の助けを頂かなければならないわけです。 高慢で不遜な私ですが、イエス・キリストの十字架の死と復活による罪の赦しと神様との和解をいただき、私たちの心と生活の中に共にいて私たちを愛して天の御国に進ませて下さる聖霊様の助けが不可欠です。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください』と憐れみを求めて祈るばかりです。 祝福を祈ります。