今日の聖句2月15日(水)\(^o^)/ ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。 イザヤ55:1 イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた。イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。 ルカ6:17-18 ************************* 今週のテーマ:真の断食 きょうの聖書:マタイ9:14-17 マタイの福音書9章14節15節 ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。その時には断食します。 「断食と布と革袋」 マタイの家で盛大な宴会が開かれていたそのとき、ユダヤ教社会は「贖罪の日」と呼ばれている日で、当時は断食をして自分の罪を悲しみ、赦しを求める祈りの日とされていたようです。パリサイ人もヨハネたちも断食していました。断食が年中行事になり、形骸化し、赦しの必要条件の一つに数えられるという困った事態が生じていました。それで、赦しを求める罪人は当然断食の功徳を積むべきではないかと詰め寄ってきているのです。 イエス様はご自分を花婿として語り、救い主であることを表明しています。神様の民は信仰生活を喜び、花婿の面前にいる花嫁のように、愛と平和に満ちた生き生きとした生活をすべきであると教えています。断食は安息日や祝祭日には設定されず、花婿は「贖罪の日」の断食も免除されていたそうです。身を悩ます断食を喜んでいる人に強要できないことは当然です。私たちもお互いの自主性を大事にして生きて行きたいと思います。 きょうの聖書の16節には「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。」17節には「人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。」という譬えが語られています。新しい布は新生したクリスチャンで、古い布はユダヤの古い律法主義です。そして、新しい革袋も新しいぶどう酒であるキリストを受け入れたクリスチャンです。古い革袋は古いユダヤの習慣に生きている人々です。 イエス・キリストによってもたらされる救いと、イエス・キリストによって与えられる永遠のいのちは断食の中に見られるユダヤ社会の古い習慣やしきたりに固執していては受けとめられないのだと教えているわけです。断食すれば天国に行けるということはあり得ないのです。一般の人がクリスチャンになるためにも、また、私たちが成熟していくためにも、悪い習慣や惰性的な生き方を放棄してキリストを信じて従う必要があるのです。 祝福を祈ります。