今日の聖句2月14日(火)\(^o^)/ ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、そのすべてを生かしておられます。 ネヘミヤ9:6 すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。 ローマ11:36 ************************ 今週のテーマ:真の断食 きょうの聖書:マタイ6:16-18 マタイの福音書6章16節17節18節 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。 「生きる動機」 キリスト当時、ユダヤではパリサイ人たちは「贖罪の日の断食」「エステルの断食」「四月の断食」「五月の断食」「十月の断食」「月曜日の断食」「木曜日の断食」をし、やつれ顔になり、他人に対して自分が自己訓練に熱心であることを見せびらかしていたのだそうです。これでは断食の動機が余りにも不純です。断食には美しさが求められます。 断食は良いものです。祈りに集中出来ます。祈りに時間をかけられます。自分の弱さを体験的に確認出来ます。心と気持ちが清々しく、判断も潔くなっていきます。牧師は教会に断食の奨励はしなければならないものだと思います。ある一定の期間、日常から離れて祈りに専念することはクリスチャンにとって必要なことなのです。 しかし、イエス様は「断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです」と言い、パリサイ人たちの断食に対する、又、神様に対する姿勢をとがめました。施しも祈りも断食も、人に見せ、人から褒められるためではつまらないです。イエス様への信仰の現れとして善行を励むという動機を意識するように心がけたいのです。 断食をして祈るとき、自分の信仰生活の動機がきよめられますようにという祈りのテーマが明確になると祈りが前進します。食欲の誘惑に勝てたというだけでは折角の断食がもったいないと私は思います。汚れた動機で生きていると周囲に害毒をまき散らすことになるので生きる動機がきよめられることはどうしても必要なことなのです。 祝福を祈ります。