今日の聖句2月13日(月)\(^o^)/ あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。 詩篇90:8 隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。 ルカ8:17 ************************ 今週のテーマ:真の断食 きょうの聖書:イザヤ58:6-12 イザヤ書58章6節7節8節 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。 「支援的に生きること」 古代のユダヤでは自分の信仰心が深いことを他の人に誇示するために断食をする人がいたそうです。自分の信仰を他の人から高く評価してもらうために街角や公園で大声で祈る人もいたようです。しかし、信仰とはそもそも神様から正しい生き方を学び他の人に対して愛と真実で接するように努力していくことです。見せかけだけの信仰は本来の信仰からはかけ離れているわけです。 きょうの聖書では神様が求める断食とは神様を信仰する人が愛に生き、他の人を苦しみから解放することだと教えられています。具体的には、衣食住に欠けている人がいればそれを提供し、虐めやハラスメントとか何かの人権侵害のような圧力を受けている人を見たら支援の手を指し伸べ、自分の家族が幸せに生きられるように努めることであると説明しています。 支援的な生き方をすれば「あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる」と励まし導いています。私たちの日々の祈りや教会生活もこのような指針をもって進められていかなければならないものです。イエス・キリストの生き方とは正にこの通りの生き方でした。 私たちがキリストを直接的に見倣って生きるという、神様との生きた関係を取り戻すことです。神様は私たちが他の人を赦せない気持ちや、罪から離れないままで生きていることを望まれていません。人助けをすれば救われるという教理はありませんが他の人に対して支援的に生きないならば、その人の信仰は神様と人々に対する誠実という面が欠けていることになるのです。私は今日は大いに反省しています。 祝福を祈ります。