今日の聖句2月10日(金)\(^o^)/ わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。 イザヤ65:19 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 ローマ12:12 ************************* 今週のテーマ:僕のつとめ きょうの聖書:Uテモテ2:8-13 テモテへの第二の手紙2章8節9節10節 私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。 「人であり神であるキリスト」 「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリスト」ということばは、ダビデの子孫である人間としてのキリストと、復活によって神として証明されているキリストという意味です。これは、キリストは神であって人ではないとか、キリストは人であって神ではないという間違ったキリスト観を正して、人であり同時に神であるキリストとして証ししているところです。 神様であり同時に人間であるイエス・キリストの十字架の死と復活が罪人を救うのです。人として極限の苦しみを味わった神様の御子が私たちと一緒にいて、私たちの苦悩を理解し、同情して支えてくださるのです。パウロはキリストが復活したと証言したために逮捕され、投獄されています。このパウロの苦境もキリストによって理解されているという確信になっているのです。 「神のことばは、つながれてはいません」という言葉は戦時中当局の取り締まりを受けた教会の牧師と信者の間であたかも合い言葉のように言い交わされていました。十数年前に「神のことばは、つながれてはいません」という題名の本が出版されました。弾圧を受けた牧師たちの証言集です。聖協団からは練馬教会の森五郎先生と飯田教会の井上かをる先生が収監されていました。 これら出来事はすべて、神様から与えられる永遠の愛と、無限の赦しは人であり同時に神である御子イエス・キリストの十字架の死と復活によるという証言の結果なのです。このことは、すべてのクリスチャンにとって信仰の鍵となる概念であり、最も重要な教理です。この理解が救いに直結し、天からの力になって私たちの生活に現れるのです。聖書は割り引かずに読まなければいけないのです。 祝福を祈ります。