今日の聖句2月8日(水)\(^o^)/ だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。 マラキ3:2 あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。 1コリント1:7-8 **************************** 今週のテーマ:僕のつとめ きょうの聖書:1ペテロ2:18-25 ペテロの手紙第一2章18節〜21節 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 「キリストの模範」 古代に於いては、多くのクリスチャンが個人の家の奴隷でした。奴隷にとっては、優しくて親切な主人に服従することは容易に出来たことでしょう。しかし、ペテロはここで、不当な扱いを受けたときでさえもも忠実で忍耐強くあるように薦めています。この時代の奴隷と同じように、私たちも思いやり深い雇い主だろうと、厳しくて刺々しい雇い主だろうと従って行かなければなりません。 私たちがそうすることによって、善い模範を示しつつ、キリストを知らない人々に信仰による救いを伝えることができ、人々を神様のもとに導くことが出来るのです。私たちがキリストによって召されたのは、実にこのためであると明言されていますし、キリストの十字架は私たちにこの従いを全うさせるための模範だったのだと言われています。 逆に、多くのクリスチャンは横暴な主人に従うとき、御子キリストが御父に従ったことの意味を理解することができるのです。私たちは人生の中で様々な出来事によって言葉に表せないほどの苦しみを受けることがあります。ある種の苦しみは自分の罪や愚かさの結果である場合があります。しかし、パウロはここで、善を行なった結果の苦しみや正義に生きた結果の苦しみを受けることが神様のご計画の中にあると語っています。 キリストは何の罪も犯さなかったのに、大きな苦しみを受けました。そのおかげで私たちに救いと自由が与えられています。イエス様が受けた苦しみは神様の世界を救うご計画の中にありました。イエス様に従う私たちは苦しみをを受けることを前提に信仰生活をおくり、キリストが未来を掌握することを確信して苦難に挑戦するのです。苦しみに負けてはいけません。 祝福を祈ります。