今日の聖句2月6日(月)\(^o^)/ あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。 申命記 8:14 いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。 1コリント4:7 ************************* 今週のテーマ:僕のつとめ きょうの聖書:2コリント6:1-10 コリント人への手紙第二6章8節9節10節 ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。 「神の僕としてパウロの生き方」 パウロにとって人生の日々は本当に重要な日々でした。この6章の2節ではイザヤ49章の言葉を引用して、「まさに助けが必要な今」の重要性を訴えています。時間は止まっていません。あっという間に過ぎてゆき、過ぎたものは再現できません。一度しか通過しないのです。そういう一度限りの人生に「恵みの時」という「今」が用意されており、「救いの日」という「今」が存在することを信じられたら人生はずいぶん楽になります。 それは、まさに「今」かもしれないし、数日後の「今」かもしれません。神の救いや祝福を受け取るべき「今」が備えられているということ自体、大きな恵みです。神は私たちを見捨てたり、見過ごしたり、無視したりなさらないお方です。信じた瞬間。受け入れた瞬間。福音に同意したしその瞬間が、救いの時であり、救いの日であるのです。今はそういう時代です。 パウロの人生訓のような言葉が書かれています。3節以下でパウロは神様の教えを教えていながら、生活や言葉において咎めを受けないように気をつけながら生きていると語っています。奉仕者としての務めが、罪を犯すことで台ないしにならないように、神様のお名前が自分の生き方や言葉で人から非難されたり、軽視されたりすることがないように、どんな場合にも愛と忍耐をもって生きているのです。 そういう生き方は、息が詰まりそうな感じがしますが、それがパウロにとってもっともふさわしく、納得のいく生き方なのだと説明しています。ひとつの生き方に徹する人の姿がここにあります。この8節〜10節の行は、どんなに状況が変化しても、ぶれることなく、しっかり対応できる生き方を紹介しています。何があっても大丈夫と言えるのは、すべてはキリストの御手によるという確信から出るものです。 祝福を祈ります。