今日の聖句1月28日(土)\(^o^)/ どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。 詩篇51:2 あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── エペソ2:4-5 ************************* 今週のテーマ:朝ごとに新しく きょうの聖書:イザヤ50:4-11 イザヤ書50章4節5節6節 神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。 「しもべの歌」 きょうの聖書は第三番目の「しもべの歌」と呼ばれていいる箇所です。「私」は直接的にはイザヤであり、時代時代の神様の忠実な僕であり、究極的にはイエス・キリストです。弟子の舌を与えられた弟子であるしもべは自分の意見を語るのではなく主である神様のみことばを語ります。 神様は、朝ごとに、イザヤを呼びさまし、イザヤの耳を開かせて、イザヤに疲れた者をことばで励ますことを教えます。イザヤは神様のみことばを素直に受け入れ、行政者や権力者に対しても怯むことなく大胆にみことばを語り悔い改めを迫ります。迫害されても侮辱されても真正面から罪に立ち向かいます。 神様のみことばは一般民衆に喜ばれることはないので語る人は尻込みしがちになりますがイザヤはそうはしませんでした。疲れた者を励ます神様のみことばがイザヤの心の中で力強く生きているからです。神様から愛されていること、神様から赦されていることが神様に仕えるしもべの最大の励ましなのです。 背中を打たれ、ひげを抜かれるとは自由と尊厳を奪われることです。これを身を持って味わったのがイエス・キリストです。私たちに神様の永遠の愛と、神様の無限の赦しを与えるためにイエス様が受けた苦しみは私たちに想像できないほど大きなものであり、それが十字架でした。神様は私たちにも神様のしもべとして生きることを期待しています。 祝福を祈ります。