今日の聖句1月24日(火)\(^o^)/ 主は望むところをことごとく行われる。天で、地で、海で、またすべての淵で。 詩篇135:6 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 マタイ8:27 ************************* 今週のテーマ:朝ごとに新しく きょうの聖書:1列王記17:1-16 列王記第一17章14節15節16節 イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。「主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。」彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。 「瓶の粉、壺の油」 神様は始めにエリヤにヨルダン川の東にあるケリテ川という小川のそばに行って住むように命じました。そうすると、朝夕、鳥がエリヤの所へパンと肉を運んできたのでそれを食べて川の水を飲んで生きていました。次ぎに神様はエリヤに地中海沿岸のシドンのツァレファテに行き、一人のやもめの養いを受けるように命じました。このやもめの手元には少しの瓶の粉と壺の油が残されているだけでした。 大飢饉に見舞われていたため、この女性は子どもと二人で小さなパンを焼いて食べ、その後で死のうと考えていました。そこへ現われたエリヤは「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい」と要求したのです。 女性はエリヤの言葉通りにしました。その結果、飢饉が終わるまで、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかったということです。私たちは神様によって造られた者であり、造り主が私たちを生かしていてくださるということです。神様によって生かされているという確信は、私たちの人生に自信と勇気とを与えるので私たちは怖がることなく大胆に生きることができます。 主の祈りの中にある「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」という祈りは私たちの人生に自由を与えます。どれほど豊かになったとしても与えてくださるのは神様なのです。神様に仕えていき、神様のみことばに準拠して生きている人の人生には神様のいのちが満ち、神様の恵みと祝福が途絶えることはないのです。今日も一日エリヤのように神様に信頼して生きていきましょう。 祝福を祈ります。