今日の聖句1月21日(土)\(^o^)/ 主はギデオンに仰せられた。「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。」そこで、ギデオンはそこに主のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロム(平和の主)と名づけた。 士師6:23-24 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 ヨハネ14:27 **************************** 今週のテーマ:信徒の成長 きょうの聖書:1コリント3:1-9 コリント人への手紙第一3章6節〜9節 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。 「自分の役割」 コリントの教会には信者の間に派閥が出来ていたようです。アポロ派、パウロ派、等でキリスト派を名乗るものもいたということです。その派閥間に妬みや争いがあることをパウロは危惧し、自分を優位に見せようとする信仰の状態を肉に属していると指摘しています。聖霊が教会内に派閥や争いを起すことはありません。 パウロは自分と同じように働いている人たちを「神の協力者」として敬意を表しつつ、自分の働きは建築家のように聞く人たちに信仰の土台を据えることだと告白しています。別の人がその土台の上に家を建てているのだというのです。いわば分業として自分の役割を理解しているわけです。 こういう見極めができるとずいぶん気持ちが楽になるというか、一つのことに打ち込めますからやり易いかもしれません。自分がどこまでやればよいのか、自分の役割の境界線はどの辺なのかを把握したいものです。しかし、ここでの重要なメッセージは、パウロがコリントの信者たちの群れを「神の畑」「神の建物」と見ているということです。 だからこそ、パウロは必死になって種まきをし、より良い家を建築させるために土台造りに励んでいるのです。パウロの視点は自分に向いていないのです。むしろ、その畑、その建物と表現されている「その人」に向かっています。自分がどう評価されるかということについて、全く関心を持たないパウロです。その背後にはキリストに愛され、キリストに仕えるものにされた喜びがあるのです。 祝福を祈ります。