今日の聖句1月19日(木)\(^o^)/ あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。 イザヤ60:18 見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。 黙示録21:3 **************************** 今週のテーマ:信徒の成長 きょうの聖書:1サムエル2:18-26 サムエル記第一2章26節 一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。 「信仰の成長」 サムエルが子どもの頃、イスラエルの祭司は神様に忠実に仕えたエリという人物でした。しかし、息子たちは収賄をし、不品行を行ない、悪いうわさが国中に広がってしまいました。エリが息子たちに「人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくださる。だが、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか」と指導しましたが、息子たちはは父の言うことを聞こうとしなかったのです。 罪に対する警告は無視してはなりません。罪に対する警告が発せられるのは、罪が目に余るという状況に達しているからであり、放置すれば悲惨な結果になることが明らかになっているからです。宗教指導者が罪を犯すならば神様は厳しい処罰を下します。父親の警告を無視した息子たちには未来はありませんでした。 そういう環境の中で「一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された」という記述が光を放ちます。信仰生活が成長の過程にある人をきよいクリスチャンと言います。きよくなればなるほど自分の心の中に汚れが存在することが分かります。汚れがあるからきよめられていないのではありません。堕落しつつある人が汚れているのです。成長しつつある人はきよいのです。 キリストに見倣って生きよう、キリストのような人になろうと努力することがきよいのです。キリストが赦したように他の人に寛容になり、キリストが愛したように他の人を愛そうという気持ちを失わないことが大事なのです。そこから信仰が成長するからです。私たちの生きる動機はきよめられています。今日も明るく元気に、神様に仕える一日を送りましょう。 祝福を祈ります。