今日の聖句1月16日(月)\(^o^)/ わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。 イザヤ44:6 私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。 エペソ3:14-15 *************************** 今週のテーマ:信徒の成長 きょうの聖書:1コリント14:20-25 コリント人への手紙第一14章20節 兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。 「おとなになりなさい」 パウロはコリント教会のクリスチャンに意味の分からない異言で話すより意味のはっきりしている知性の言葉を話しなさいと指導しました。教会に大勢集まったときに皆が一斉に異言で話し出したら求道者や初心者がまごついてしまいます。言葉は人の意志や真理を伝えるためのものですから意味の分からない異言は礼拝の妨げになるのです。 異言には二種類あります。一つは外国語のことです。もう一つは天国語と言えるかも知れません。ある国の国語なら翻訳も通訳もできるのですが、天国語の場合は解き明かす賜物を持つ人がいないと意味が通じないのです。知らない人が聞くと、「アァァ、アァァ」や「ルルル、ルルル」とか「トットットッ」などのように聞こえます。このような異言は他の人の徳を高めることはありません。 パウロは、普通の言語ではない異言はキリストを知らない人のために与えられた神様の賜物なので、クリスチャンになった人は異言よりも知性の言葉を使って人々にキリストの愛を伝える方がはるかに良いのだと言っているわけです。異言は主に個人的な祈りのために使われるのです。 それとは別に一般的なこととして、物の考え方や知識や知性においては十分に成長したクリスチャンになることが望まれます。互いに赦しあい、互いに徳を高め合う姿勢を追求してキリストの似姿になっていきたいと思うのです。成長と成熟を目指すことこそ私たち人間の永遠のテーマなのです。 祝福を祈ります。