今日の聖句1月11日(水)\(^o^)/ 正しい人は寄るべのない者を正しくさばくことを知っている。 箴言29:7 彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。 2コリント8:14 *************************** 今週のテーマ:世の光 きょうの聖書:ルカ11:33-36 ルカの福音書11章34節35節36節 からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。 「愛の光」 私たちの内の光はイエス・キリストです。私たちの心と生活の中にいるイエス・キリストが光を失うことのないようにしなさいと教えられています。神の子であり、イエス・キリストを内住させている私たちが罪を犯すと、私たちの内にいるイエス・キリストは光を放つことができなくなります。そうすると私たちの生活から明るさや朗らかさが消えてしまいます。 目は、霊的な理解力と洞察力を表しています。罪を伴う願望は目の敏感な働きを阻害してしまいます。私たちの心が汚れるとそのことがイエス・キリストの愛の光を遮ってしまうのです。心のきよい人が神様を見ることができるのです。私たちは常にイエス・キリストの愛のお姿を鮮明に見続けていることが必要です。 御父とは自分にとってどういうお方であるか、御子とは自分にとってどういうお方であるか、御霊とは自分にとってどういうお方であるか。その問いにいつでも明確に答えられるように備えていることが目を健全に保つということなのです。イエス様が自分にとってどういうお方であるかが分からなくなった状態を「迷い」と言います。 聖書を読むことを止め、祈ること、礼拝することを止めてしまうと、その迷いの状態に陥るのです。迷った結果、正しい判断の力が失われ、よく考えてみれば明らかに罪であるような行為を行なってしまうのです。今日も迷うことなくイエス・キリストが自分を愛しているということをしっかり自覚して生きて行きなさいと教えられました。 祝福を祈ります。