今日の聖句12月17日(土)\(^o^)/ 私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。 詩篇116:1 こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。 ルカ1:13 *************************** 今週のテーマ:主が来られるまで きょうの聖書:2ペテロ3:1-7 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」 「花婿であるキリスト」 終わりの日とは、キリストが初降臨してから再臨するまでの期間です。ペテロを始めとする使徒たちも、今の時代を生きている私たちクリスチャンも同一の終わりの日を生きているということです。ペテロの時代にもあざける者がいましたし、今の時代にもキリストの再臨を愚かしい話しとしてあざける人がいるのです。 イエス様に対して死刑の判決が出たのはイエス様が再臨を予告したからです。もしイエス様が再臨するということを明言しなければユダヤ教の議会は最終判決を出さなかったはずなのです。イエス様の再臨の約束はイエス様のいのちと引き替えに下された遺言だったのです。 終わりの日を生きる私たちは私たちに与えられた義務と責任を果たしつつキリストの再臨を待ち続けているのです。ペテロはノアの時代に世界が大洪水によって滅びたように、今の時代は天からの火による裁きを受けるために保たれているのだと言っています。神様は時空を司る絶対者なのです。 黙示録によると、神様は悪魔と悪魔を拝む者を硫黄の燃える火の池に投げ込んでしまうと言われています。私たちはキリストに目を向け、キリストから心を離さず、キリストへの忠実な信仰を守るクリスチャンとして生きています。私たちにとっては再臨のキリストは花嫁である教会を迎える花婿なのです。私たちは喜び楽しみながら再臨を待っています。 祝福を祈ります。