今日の聖句12月11日(日)\(^o^)/ 見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。 ゼパニヤ3:19 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。 マルコ 6:34 *************************** 今週のテーマ:主が来られるまで きょうの聖書:1コリント4:1-5 コリント人への手紙第一4章4節5節 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。 「先走ったさばき」 コリント教会の人々はパウロを低く評価していたようです。しかし、パウロは人からの評価をあまり気にせずに生きているようです。自分の生き方に後ろめたさを感じることなく、自信を持って生きています。しかし、だからといって、それがそのまま神に受け入れられているとはパウロは断定していません。やがて主が来られるとき、最終的な評価がくだされるからです。 主が来られるまでは「先走ったさばきをしてはいけません」という言葉をしっかり心に留めたいものだと思います。私たちは第一印象とか、自分の知っているわずかな情報だけで、極端な評価を下してしまいやすいのです。パウロのメッセージの中で「他人を裁くな」ということばはとても強く語られています。他人を裁く人は自分も他人を裁くという罪を犯しているのだとも言われています。 「みんながやっている」とか「みんなが知ってる」というときの「みんな」とは何人なのでしょう。そして「みんな」とはだれのことでしょう。大抵の場合、自分とごく少数の同調者だけということが多いのです。自分のさばきを「みんな」のさばきにしているのです。そして自分はその罪を犯してないと暗に主張しているわけです。 パウロは2コリント6:8で「ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです」と他人の評価に対するパウロの考えを明かしています。最終的な評価はキリストが下すという考えに根付いているのです。他人の評価に一喜一憂する事なく、自分の人生を地道に歩いて行くことが大事だと教えられます。 祝福を祈ります。