今日の聖句12月3日(土)\(^o^)/ まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。 詩篇73:1 エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。 ルカ2:25 **************************** 今週のテーマ:降誕への備え きょうの聖書:イザヤ40:1-5 イザヤ書40章1節2節3節 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。   そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」荒野に呼ばわる者の声がする。 「慰めの言葉」 イザヤ書40章は「慰めよ。慰めよ。わたしの民をとあなたがたの神は仰せられる」という言葉で書き出されています。エルサレムは偶像礼拝という罪のために滅亡への道に突き進んでいます。神様はイザヤにそのような状況の中にあるエルサレムに優しく慰めの言葉を語りかけなさいと言われました。 ユダヤの民がバビロンに捕囚とされ苦しみの日が来ますが、それには終わりがあり、苦しみの時が終われば滅亡以前に倍する恵みが備えられているという慰めの言葉です。私たちの人生でも避けられない困難や試練にみまわれることがありますが、それが過ぎたときには苦しみにあう前より大きな恵みと祝福があるものです。 エルサレムへの帰還後に備えられている祝福は救い主の登場です。そしてイザヤは救い主の登場の時が近づいているので「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ」と呼びかけているのです。イザヤの予告から700年の時を経て、バプテスマのヨハネが「荒野に呼ばわる者の声」として現れました。 私たちもキリストによる世界の救いがあることを告げ知らせていく働きに召されています。イエス様はご自分が十字架で死ぬことによって私たちを神様と和解させ、救いに導いて下さいました。私たちが自己中心を捨てて和解の働きに徹するとき私たちも慰めの言葉を語る和解の使者として与えられた責任を果たせるのです。 祝福を祈ります。