今日の聖句11月20日(日)\(^o^)/ みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください。 詩篇119:116 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 1テサロニケ5:23 ************************* 今週のテーマ:感謝せよ きょうの聖書:コロサイ2:6-7 コロサイ人への手紙2章6節7節 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。 「私の感謝」 このようにキリストを受け入れたとは、キリストを手本にして生きる決心をしたのだからということです。キリストを信じるとは、キリストに従うという意味です。だから、キリストに倣う生き方をしなさいと教えられています。信仰は堅くあることが必要です。それは、罪の誘惑に負けないということです。キリストが私たちの支えとなるので私たちの信仰は強くなります。 溢れるばかり感謝しなさいと言われています。感謝という言葉は聖書の中で152回使われています。聖書の中にも感謝が満ちています。感謝が溢れるのは心からです。笑顔がこぼれるとも言います。嬉しくてたまらず顔がくしゃくしゃにくずれてしまうのです。常に喜び絶えず祈り、すべてのことを感謝しなさいというのが聖書の教えです。 感謝は賛美とともに神様への礼拝の中心部分です。礼拝するとは感謝することと言い換えても良いのです。感謝は神様への献身の表明でもあります。古代イスラエルでは動物を犠牲にする礼拝がささげられていました。全焼の献げものとは正に献身の表明そのものなのです。私たちはその礼拝を感謝によって神様に献げているのです。 私の場合は、自分の存在がキリストに直結できたということが何より嬉しく、又、ありがたく思うことです。何事が起ころうともキリストの愛から切り離されてしまうことは絶対にないという確信です。かつては迷いの中にありましたが、今は、決して、キリストから捨てられてしまうことはないという気持ちが動かないのです。キリストからいのちを与えられ、キリストのいのちを伝えていく喜びは何物にも代えられないのです。 祝福を祈ります。