今日の聖句 11月10日(木)\(^o^)/ ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。 詩篇63:6 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは 、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。 ローマ11:33 ************************** 今週のテーマ:終末の審判 きょうの聖書:マタイ25:31-46 マタイの福音書25章34節35節36節 王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。 世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、 わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、 わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸の とき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わた しが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』 「愛の奉仕」 キリストの再臨に備えて目覚めている人の最大の特徴は「愛の奉仕」です。これ は、羊飼いが羊と山羊を選り分けるように、真のクリスチャンと偽クリスチャン が選り分けられる日が来ることを教えるイエス様の言葉です。そして、「神の国 を継ぐ」という判決を下す証拠になることがらです。 イエス・キリストの十字架の死と復活によって救われた「救いの喜び」から、支 援的に生き、知らず知らずのうちに教会の兄弟姉妹に対し、或いは、様々な隣人 や知り合いに対して、支援の手、ケアの手を差し伸べていることが、一死をもっ て私たちを救って下さったイエス・キリストへの信仰の具体的現れになるのです。 『最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(25:40) 愛の奉仕は水や食べ物、宿所や衣類の提供に始まり病気見舞いや刑務所への訪問 と共に、相手の霊的成長に仕えていくことに続いていきます。問題や課題を共有 し、解決の課程を共有し、ともに喜び、ともに悲しむ感情を共有して生きていく ことで実践できることです。何事も他人事と思わず、我が事として対処すること です。 イエス様は人間の問題である「罪」を他人事とせず、我が事として受け止めて御 自分でその重荷を引き受けて下さいました。そのイエス様に倣って生きていくこ とこそ神の御国の相続権の確保になるのです。口先だけであったり、形式だけで あったりでは命を投げ出して下さったイエス様に申し訳が立ちません。キリスト と愛の十字架を共有する真のクリスチャンとして生きていきましょう。 祝福を祈ります。