今日の聖句 10月8日(土)\(^o^)/ みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。 詩篇119:130 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書 の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。 ローマ15:4 **************************** 今週のテーマ:全世界の交わり きょうの聖書:黙示録21:22-27 ヨハネの黙示録21章23節24節25節 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし 小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たち はその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこに は夜がないからである。 「神の国への希望」 弟子のヨハネが幻によって見た神の国の姿がここに記されています。そこは、神 の子羊であるイエス・キリストの栄光によって光り輝いています。門は一日中閉 ざされることはなく、人々は諸国の民の栄光と誉れとをそこに携えて来ると言わ れています。夜がないとは、神の国が暗黒に包まれるときはなくなるということ です。 イエス・キリストの十字架と復活によって救われた人、罪を消された人がこの神 の国に入ることができます。罪に汚れたままの人、うそとごまかしで生きている 人はこの神の国に入ることは許可されないのです。私たちは今、永遠に広がる神 の国に向けて歩みを進めているわけです。私たちの希望が閉ざされることはあり ません。 キリストの再臨と神の国への希望を祈り求めつつ生きていくところに神様の恵み と祝福の注ぎがあります。初代教会の人々から今日のクリスチャンに至るまで教 会では「主イエスよ、来てください」という祈りを献げ続けています。特に初代 教会では「マラナ・タ」という言葉がクリスチャン同士の間で挨拶の言葉として 使われていました。マラナタとは、主よ、来て下さい、という意味です。 迫害下にあって苦しむクリスチャンの、キリストの再臨への信仰と神の国への希 望は人々に生きる力を与えていたのです。それは、今の時代でも同じです。キリ スト教会で最も大事なものは信仰と希望と愛なのです。神様が聖書の中で約束し ていることで、いまだかつて実現したことのない約束が再臨と神の国なのです。 この約束を信じることこそ信仰そのものなのです。私たちは信仰によって歩みま す。 祝福を祈ります。