今日の聖句 9月30日(金)\(^o^)/ 主よ。御怒りで私を責めないでください。 激しい憤りで私を懲らしめないでください。 詩篇6:1 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられ た方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなして いてくださるのです。 ローマ8:34 ******************************* 今週のテーマ:悔い改め きょうの聖書:詩篇51:1-21 詩篇51篇1節〜4節 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私 のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、 私の罪から、私をきよめてください。まことに、私は自分のそむきの罪を知って います。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに 罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣 告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。 「神様の憐れみとダビデの悔い改め」 この詩篇51篇は、ダビデがバテ・シェバと姦通し、その夫ウリヤを殺した。そ の後ダビデの元へ預言者ナタンが来て、神の審判を告げました。この詩はその時 のダビデの作です。れはダビデが生涯を通じてただ一度だけ犯した罪です。ダビ デは罪の誘惑に負けて大きな罪を犯してしまったのです。そして姦淫という罪の 上に更に殺人という罪を犯したのです。 ダビデは誰も気がつかないだろうと甘く考えていましたが、神様はすべてお見通 しでした。ダビデはナタンから自分が犯した罪がとてつもなく大きい罪だったこ とを知らされて愕然とし、神様に憐れみを求めました。ダビデはナタンが来る前 に既に神様を礼拝できない心の状態に陥っていました。そこへナタンが来て罪を 指摘したのでダビデは我に返って悔い改めたのです。 ダビデにとっては神様を礼拝することが最大の価値なので神様を礼拝できないこ とは何にも増して辛く悲しいことでした。悔い改めて神様との和解を得、再び全 能の創造者に晴れ晴れと賛美を献げられるようになりたいという願いで心が一杯 になっているのです。罪を犯したのち礼拝に来られなくなってしまうクリスチャ ンが大勢いますが、悔い改めて罪の赦しを得、しかるべく償いを果たして晴れて 再び礼拝者として神様の御前に立たなければ生けません。 ダビデは、神様に赦しを求めるための交換条件のようなものは一切出していませ ん。赦すか赦さないか、それは神様の権限です。その主権者である神様に憐れみ を求めてすがりついているだけです。何か犠牲を払うとか、埋め合わせをすると かいうようなことで罪が消されるということはありません。罪ほろぼしなどとい 考えは人間の傲慢さの現れ以外の何ものでもないのです。この場合も神様はダビ デを憐れみ、憐れみによって祈りを聞き入れてくださいました。 祝福を祈ります。