今日の聖句 9月25日(日)\(^o^)/ わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに 犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。 エレミヤ33:8 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法か ら贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでし た。 テトス2:14 ******************************** 今週のテーマ:悔い改め きょうの聖書:ルカ13:1-5 ルカの福音書13章4節5節 シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよ りも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたが たに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。 「神様との関係」 罪を犯した結果災いが起こるという考え方があります。罪が深ければ深いほど大 きな災いで苦しむという理屈になります。エルサレム市内でシロアムの塔が崩れ たとき、18人の人が事故の犠牲になりました。町の人たちは事故の巻き添えで 死んだ人たちが罪深かったからだとうわさしていたのです。ガリラヤらエルサレ ムに礼拝に来ていた人がピラト総督に斬首されたという事件もありました。 不慮の事故、或いは権力者による弾圧によって命を失う人たちは自分の罪の報い を受けているのだとして、問題の本質を探ろうとしないならば将来に向かう進歩 がありません。罪というものはすべての人の心と生活を支配しています。事故や 事件に巻き込まれないからといってその人の無罪が証明されるわけではありませ ん。すべての人が自分の罪を深く反省して悔い改める必要があるのです。 罪の結果は、神様との間の関係が断絶されるということです。お祈りができず、 祈っても祈りの答えをもらえない、礼拝することができず、礼拝しても愛と恵み を受けられない。罪の結果は、聖書を読もうという気持ちが失われ、読んだとし ても意味が分からず、全く興味すら湧かないということになってしまいます。そ れは、罪を犯す人が神様の基本方針である正義と慈愛に反抗する態度を取るから です。 罪がなければ、事故や事件の被害者や当事者となっても共にいて下さる神様によ ってその苦しみを乗り越える知恵と力を頂くことができます。神様との良好な関 係が維持されているかどうかが自分の信仰を点検する最大のポイントです。私た ちは御父によって造られたことを喜び、御子の十字架によって救われたことを感 謝し、御霊の深い交わりの中で主を賛美します。忌まわしい出来事があってもそ れらのことが私たちと神様の愛の関係を遮断することはできません。 福を祈ります。