今日の聖句 9月17日(土)\(^o^)/ 主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。 詩篇115:11 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊に よって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 ローマ5:5 ******************************** 今週のテーマ:祈りの生活 きょうの聖書:詩篇42:1-11 詩篇42篇1節2節3節 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎま す。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って神 の御前に出ましょうか。私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「お まえの神はどこにいるのか」と私に言う間。 「絶望しない」 この詩篇の背景はサムエル記第二15章付近にあります。それは息子アブサロムが ヘブロンで謀反を起し、反乱軍をを率いてエルサレムに攻めてきた時のことです。 ダビデは信頼できる人をエルサレムに残して少数の人と共にエルサレムを脱して死 海の東側まで逃げていきました。逃げるときに、ダビデに敵意を持つものたちが見 え隠れについてきてダビデに悪口雑言を浴びせていたのです。 逃亡生活の中でダビデが辛く感じたことは、神殿で楽器等を使って賛美する豊かな 礼拝ができないことでした。この時、同行していた神殿聖歌隊長のコラと聖歌隊に ダビデの心境を歌わせたのがこの詩篇42篇です。息子に背かれ、食料もなく、罵 声の中を逃げることしかできない惨めな境遇の中でダビデ神様に救いを求めて祈っ たのです。 うなだれて言葉も出ず、うめくばかりのダビデの姿が目に浮かぶようですが、ダビ デは絶望しませんでした。いつでも、どんな時でも神様が共にいてダビデを支え続 けていてくださるという事への信頼があり、祈りの中で神様からの励ましを受けて いるからです。最後の11節では「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。 私の顔の救い、私の神を」と祈って神様による救出を期待しています。 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐ」とは水の流れていない川で水を求めて鹿があえい でいる姿を自分の苦しいさにたとえて表現しています。そういうときには誰でも祈 るしか何もすることはなくなるわけです。どこからも誰からも助けを受けられない ときこそ神様が救いの手を差し伸べてくださるのです。ダビデは殉教の時も、逆境 に陥っても、私たちに神様との関係の在り方を教えてくれます。絶望せずに神様に 期待して生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。