今日の聖句 9月13日(火)\(^o^)/ 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない」と。しか し、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げ てくださる方です。 詩篇3:2-3 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて 言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、 手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 マルコ1:40-41 ******************************* 今週のテーマ:祈りの生活 きょうの聖書:1サムエル1:9-18 サムエル記第一1章15節16節 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございま す。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出し ていたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつの る憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」 「ハンナの祈り」 ハンナはエルカナという人の妻です。エルカナにはハンナの他にペニンナという 妻がいました。ペニンナには男女の子どもが多数いました。しかし、ハンナには 子どもが与えられていなかったのです。ところがエルカナがハンナにとても優し く良くするのでペニンナはハンナにしばしば酷い嫌がらせをしていました。 辛い気持ちで沈み込んでいたハンナは夕食後一人で礼拝場所である神様の幕屋へ 行き、自分の気持ちを洗いざらい神様の前で告白したのです。ハンナは心の中で 祈っていたので唇がかすかに動くのみでした。それを見ていた祭司のエリはハン ナがよっぱらっているものと思い「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさ い」と声を掛けました。 その祭司の言葉へのハンナの返答が15節と16節なのです。ハンナは募る憂い と苛立ちのために心を注ぎだして祈っていたと言っています。心を注ぎ出すとは 洗いざらいぶちまけるというほどの意味です。心の中に詰まっているものを全部 吐き出してしまうということです。 神様は私たちの気持ちを全部聞き取り、受け止め、私たちの心を理解してくださ る御方です。神様に分かってもらうということは私たちにとって大きな救いにな ります。それで、ハンナは祈り始める前は暗く沈んでいましたが、祈り終わると 「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」(18節)と言われています。 苦しみは心の中にためないで神様に全部打ち明けた方が良いのです。 祝福を祈ります。