今日の聖句 9月5日(月)\(^o^)/ 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。 火のあとに、かすかな細い声があった。 1列王記19:12 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 2コリント3:17 ******************************** 今週のテーマ:みことばの前進 きょうの聖書:ピリピ1:18-26 ピリピ人への手紙1章20節21節 どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも 死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。私にとっては、生 きることはキリスト、死ぬことも益です。 「クリスチャンの生と死」 パウロは投獄されています。いつまで生きられるのか分からない状態です。そう いう環境の中でピリピの信者たちに福音と共に生きるクリスチャンの生き方を示 しているのです。私たち人間はすべてキリスト共に生きるために生まれました。 そして、私たちはキリストによって救われ、キリストと共に生きられるようにさ れているのです。 神様を信じない人たちにとって、この世の生活はそこにあるものがすべてなので この世の価値観を目指して励むのも無理のないことです。しかし、パウロにとっ て生きることは、永遠に価値のあるものを明らかにすることと、他の人たちにキ リストの福音を伝えること意味し、キリストだけが永遠の観点から人々がいのち を見る事を助けることができるからです。 パウロの人生のすべての目的は、キリストを指示して大胆に語ることと、更にキ リストに似たものになることでした。ですからパウロは、死ぬことは生きること よりも更にによいと確信を持って言うことがでくたのです。パウロは死において 世の中の苦悩から離脱し、キリストと顔と顔を合わせて対面することができるか らです。 私たちにとって死ぬ準備ができていないということは、とりもなおさず生きる準 備もできていないということになります。私たちも自分の人生の永遠の未来をし っかり見つめる必要があるのです。死を恐れず死の先にある永遠の天の御国への 道に立つことです。そうすることによってびくびくせず、大胆に有意義な人生を 送ることができるのです。 祝福を祈ります。