今日の聖句 8月17日(水)\(^o^)/ 悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その舌は渇きで干からびるが、 わたし、主は、彼らに答え、イスラエルの神は、彼らを見捨てない。 イザヤ41:17 渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 黙示録22:17 ****************************** 今週のテーマ:自然を従わせる主 きょうの聖書:マルコ8:11-21 マルコの福音書8章19節20節 わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つ のかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」「四千人に 七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱい になりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」 「いのちのパンであるキリスト」 イエス様一行が再びベツサイダに向かう舟の中での出来事です。一行が舟に乗る 前に反キリスト・グループのユダヤ教の一派であるパリサイ人が、イエス様と所 に来て、イエス様が救い主である証拠を見せなさいと言ってきました。イエス様 は「今の時代には、しるしは絶対に与えられません」と突っぱねたのです。 舟に乗ってからイエス様は弟子たちに「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種と に十分気をつけなさい」と忠告しました。それは、イエス・キリストを否定する 宗教家とキリストを無視する世俗的な人々の考え方に同調してはいけないという ことです。少しのイースト菌が粉に加わるだけでパンが膨らむように、キリスト への疑いの気持ちは少しあるだけで不信仰が蔓延するからです。 イエス様が「疑い」を「パン種」という言葉で表現すると、弟子たちは自分たち がパンを持ってくることを忘れたのでイエス様から咎められていると勘違いしま した。舟の中にはパンが一つしかなかったのです。弟子たちは五つのパンで五千 人を養い、七つのパンで4千人を養ったイエス様がこの舟に乗っているというこ とを忘れてしまっています。 パンは一つあれば十分なのです。疑いの混じらない信仰も一つあれば十分なので す。パンは一人に一つ必要という考え方は反キリストのパリサイ人たちと世俗的 なヘロデの考え方なのです。それよりも命を生み出す創造者であり、命のパンで あるキリストが私たちと共にいるということに信仰の焦点を合わせることが必要 なのです。 祝福を祈ります。