今日の聖句 8月9日(火)\(^o^)/ いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。 出エジプト10:3 あなたは自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、 実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて盲目で、裸の者であることを知らない。 黙示録3:17 今週のテーマ:時のしるし きょうの聖書:エゼキエル33:1-9 エゼキエル書33章8節9節 わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがそ の悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎の ために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。あなたが、悪者にそ の道から立ち返るよう警告しても、彼がその道から立ち返らないなら、彼は自分 の咎のために死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うこと になる。 「警告」 エゼキエルは、ユダ王国がバビロニヤに攻め滅ぼされる直前から直後にかけての 20年間ほどエルサレムとバビロンで活動した預言者です。この33章では神様 がイスラエルに見張り人を置くこと、見張り人は敵国が攻めてきたときには角笛 を吹いて国民に警告しなければならと告げられました。見張り人に与えられてい る最大の責任は警報を発するということです。 1節〜6節までで、国民が警報を無視して殺されればその責任は国民にあり、見 張り人が警報を発せずに国民に被害が出るならば見張り人の責任が追及されると 言われています。7節から9節までには国民と悪人が入れ替わり、見張り人とエ ゼキエルが入れ替わります。悪人とは神様を否定する人のことです。エゼキエル には神様を否定する人に神様のさばきが在ることを告げて警告する責任が与えら れたのです。 この話を私たちの日常生活に当てはめてみれば、悪人とは、未信者のことです。 エゼキエルは私たち1人1人のクリスチャンになります。私たちの隣人の中で神 様を否定し、神様に背いて生きている人がいた場合、私たちにはその人に神様に 敵対する罪に対する神様のさばきを告げて警告する義務があるということになり ます。 今は夏休みで、夜になってから生徒や児童が良からぬ所で遊んでいる姿が散見さ れます。それを見たら、早く家に帰りなさいと注意することが私たちの責任であ り、喧嘩や盗みの現場を目撃したら見て見ぬふりをしてはならないということで す。教会の中でもお互いに罪について忠告しあい、お互いにきよい生活に進むよ うに励まし合うことが大事です。 祝福を祈ります。