今日の聖句 7月25日(日)\(^o^)/ 主のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口のいぶきによって。 詩篇33:6 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要は ありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だから です。 使徒17:25 ******************************** 今週のテーマ:平和を求めよ きょうの聖書:コロサイ3:12-17 コロサイ人への手紙3章12節13節14節 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い 同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかが ほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがた を赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべて の上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 「互いに赦し合うこと」 私たちの人間関係の中で平和を維持するためには互いに赦し合うということが不 可欠です。自分が正しくて相手が間違っていると考えると相手を責める言葉が出 てきます。特に相手の落ち度によって自分が迷惑や不利益を被ったりするときに は相手を悪として決定づけてしまうことになります。 しかし、人と人の間に問題が発生する場合は、一方だけが正しくて、もう一方が 必ず間違っているということはありません。お互いに間違っているので問題が起 こっているのです。ですから、互いに赦し合うことが必要なのです。動いている 自動車による交通事故の場合にも一方だけが100%の責任を負うということは ありません。 完全に正しいお方はイエス・キリストの他には存在しません。そのイエス様が神 様と私たちの間の罪という問題を解決するためにとった手段が、十字架で死んだ ということです。息を引き取る前にイエス様を殺そうとしている人たちのために 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないの です」と祈られました。 つまり、私たちの人間社会での究極の正しさとは赦すということなのです。もし 私たちが誰かを赦さないならば、相手も私たちに罪を犯したかもしれませんが、 赦さない人も、赦さない、という罪を犯していることになるわけです。私たちク リスチャンの「赦す」という気持ちの根拠はイエス様が大きな愛で命を犠牲にし てまで私たちを赦してくださったということを受け取るところにあります。 祝福を祈ります。