今日の聖句 7月8日(金)\(^o^)/ 神の神、主は語り、地を呼び寄せられた。日の上る所から沈む所まで。 詩篇50:1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろ いろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語 られました。 ヘブル1:1-2 ******************************* 今週のテーマ:創造主の力 きょうの聖書:イザヤ40:12-24 イザヤ書40章12節〜15節 だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山 をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。だれが主の霊を推し量り、主の顧 問として教えたのか。主はだれと相談して悟りを得られたのか。だれが公正の道 筋を主に教えて、知識を授け、英知の道を知らせたのか。見よ。国々は、手おけ の一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいち りのように取り上げる。 「はかりの上のごみ」 イザヤはこの40章の中で万物は神様によって創造され、今なお神様の御手によ ってすべての営みが守られていることを告げています。人間は神様の創造の御業 に対して何の貢献もしていません。神様の創造の御業は人間の物造りの知恵や知 識では考えられない手段で成されたことでした。神様は完璧な設計図を持ち、完 璧な方針に添って世界を創造されたのです。 私たち罪深い人間は、自分の目で神様を見る事ができないので、神様は存在しな いという結論を下してしまいます。存在しないのではなく、罪人の目には見えな いお方なのです。神様を見ることができない人が神様を説明しようとするから間 違った神様を想像し、まことの神様とは全く違った偶像を造ってしまうのです。 天と地の創造者であるお方、目には見えず、形に造ることのできないお方こそ真 の神様なのです。 私たちの存在は、手桶の中の一しずく、秤の上の埃のようなものだと言われてい ます。存在するように見えても実は無に等しく、何の働きもできないのです。と ころが、おかしいことに、無に等しい私たちが創造者であり万物の根源である神 様を否定するという、あり得ない暴挙に出るのです。それは、神様の天地創造の 基本方針である「永遠の愛」に同意できないからです。 塵埃に過ぎない私たちに向けられている神様の愛は天地創造以来滞ることなく光 り輝いていましたが、それを受けとめることのできない人類に対して、神様のひ とり子イエス・キリストが天から派遣されたのです。御父である神様は御子イエ ス・キリストの中にご自身のすべてを持たせました。私たちは御子イエス・キリ ストによってのみ正しい神様理解ができるのです。 祝福を祈ります。