今日の聖句 6月28日(火)\(^o^)/ まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。 イザヤ55:12 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安 を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あ なたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 ヨハネ14:27 ******************************** 今週のテーマ:主を喜ぶ きょうの聖書:イザヤ61:10-11 イザヤ書61章10節11節 わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜 ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠 をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。地が芽を出し、園が蒔 かれた種を芽ばえさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に 芽ばえさせるからだ。 「救いの喜び」 イザヤ書61章は洗礼を受けたイエス様が出身地のガリラヤへ帰り、安息日に会 堂で朗読したことで有名です。イエス様はこの61章の1節と2節を読んでご自 分が預言者によって預言されていた救い主であることを明らかにされたのです。 それで「わたし」はキリストであり、またエルサレムであるとも考えられます。 更に、「わたし」は現代のクリスチャンであるという理解もできます。 「わたし」が神様によって喜ぶ理由は、救われたこと、正義を身に付けることが できたこと、結婚式での花婿のように、花嫁のように祝福で満たされていること また、神様が世界に正義と賛美を与えてくださったことだと証しされています。 これらの喜びの動機は私たちクリスチャンのものであり、この10節と11節を 読んだ人は思わず「アーメン」と言いたくなるほどです。 罪によって心と生活を汚された人は、いじけて、自信が無く、無力で暗く、疑い と不信、恐れ、不愉快等に包まれてしまいます。私も救われる前はまさにそのよ うな悪い感情にさいなまれていたのです。でもそのような気持ちから抜け出せな いということは不自然であり、必ず何処かに解決の道があるだろうと考えていま した。 そんな時、私の目の前に教会へ行っているという人が複数現われたのです。教会 へ行く地図をもらって訪ねて行ったのは聖協団相模原教会でした。老人ばかりで 五・六人で礼拝していましたがその姿は、まるで、救われたこと、正義を身に付 けることができたこと、結婚式での花婿のように、花嫁のように祝福で満たされ ていることを喜んでいるようでした。私たちは当然神様の救いを喜ぶのです。 祝福を祈ります。