今日の聖句 6月17日(金)\(^o^)/ わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。 エレミヤ23:28 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神か らのものかどうかを、ためしなさい。 1ヨハネ4:1 *************************** 今週のテーマ:神の宮をあずかる者 きょうの聖書:使徒20:28-35 使徒の働き20章28節 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の 血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督に お立てになったのです。 「律法主義の危険」 これはミレトという町でエペソ方面の教会の長老たちを招集して語ったパウロの 言葉の一部です。神様の教会の牧者として「自分自身と群れの全体とに気を配り なさい」という命令です。群れで養われている神様の羊であるクリスチャンを凶 暴なオオカミであるユダヤ教から守りなさいということと、使徒たちの教えから 逸脱しないように教育し続けなさいという内容です。 凶暴なオオカミのようなユダヤ教の指導者たちは、クリスチャンたちにユダヤ教 の律法を行なうべきことを強制し、特に割礼を受けることが必要であると主張し ていたのです。パウロは「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではな く、信仰によると」と教え続けています。キリストの十字架から離れたなら、私 たちには救いはないのです。 私たちクリスチャンは「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」である ということを決して忘れてはならず、私たちは復活したキリストによって愛され て守られている身であることを感謝して信仰生活に励むよう導かれています。特 に牧師である私たちは常にこのことに留意して生きていく必要があります。 サタンによって律法主義の罠が仕掛けられており、私たちが律法主義的な信仰に 陥る危険はとても高いのです。それは、私は礼拝に出席しているからこれで良い とか、献金をしているからこれで良いというように、何々をしているから自分は 救われていると考えることです。私たちの救いは、自分で何かをしたから得られ たのではなく、只、キリストの十字架の死と復活によって与えられたものである ということを忘れてはならないのです。 祝福を祈ります。