今日の聖句 5月16日(月)\(^o^)/ わたしは「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と言う。 ガラテヤ13:9 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者 であり監督者である方のもとに帰ったのです。 1ペテロ2:25 **************************** 今週のテーマ:聖霊の賜物 きょうの聖書:ガラテヤ5:16-26 ガラテヤ人への手紙5章16節17節18節 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足さ せるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は 肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、 自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導 かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 「御霊に導かれること」 聖霊は私たち信じる者を神様とともに生かす御方です。聖霊を受けた私たちは神 様から愛され、神様を愛して日常を生きていこうという積極的な生き方をする動 機が与えられます。そこに生き甲斐があり、生きる喜びと希望があるのです。神 様の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。私たちは御霊に導かれて神 様と共に生きることができるのです。 ここに、「肉の欲望を満足させる生き方」と「御霊の導きに従って歩む生き方」 とが対比されて書かれています。極度に自分勝手な欲望が主役になる生き方と、 聖霊による促しを意識しながらの生き方との間には質的な違いができてしまいま す。私たちは、自分でわかっていながら愚かなことをしがちです。知らないわけ ではないし、止めることができないわけでもないのに、自分勝手な欲求や欲望に 翻弄されてしまう自分がどこかにいるような気がします。 パウロは、キリストの十字架にそれらのすべてを掛けてしまったのだと教えてい ます。神様を信頼し、聖霊による導きを求めることで、私たちの意志決定に神様 の心や神の期待が反映されるようになってきます。そして、それが私たちにとっ て極めて自然な生き方になってくるのです。聖霊に満たされるようにという祈り が必要なのです。捨てても捨てても私たちの肉性は頭をもたげてきます。 自動的に聖霊に満たされ続ける状況の中に居続けることはできません。一度聖霊 の恵みを受けたらその後は祈らなくても良いということにはならないのです。聖 霊の導きに従うとは、自分の存在とキリストの十字架の意味を考えること、自分 の生活の状況の中にキリストの教えを思い出してみること、キリストの愛の中に 自分をすっぽり隠すことなどによって促される思いだともいえます。今日も一日 御霊の導きの中で生きていきましょう。 祝福を祈ります。