今日の聖句 4月27日(水) あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ。 伝道の書5:6 愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避けなさい。 それらは無益で、むだなものです。 テトス3:9 ************************** 今週のテーマ:キリストの主権 きょうの聖書:マタイ20:20-28 マタイの福音書20章27節28節 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思 う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思 う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるため ではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価と して、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。 「仕えるしもべの権威」 ここでは仕えるしもべとしてのイエス様の権威が語られています。17節から1 9節でイエス様が十字架の死と復活を予告すると、ゼベタイの妻が自分の二人の 息子をキリストの御国でキリストの右と左に座れるようにしてくださいと頼みま した。イエス様は「わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことでは なく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです」と軽くいなして しまいました。 そして続けて「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者にな りなさい」と謙遜と従順を教えます。「しもべ」という言葉は「奴隷」という意 味で「仕えるもの」とは「給仕」又は「執事」と訳される言葉です。しもべも仕 えるものも共に決定権を持たない立場で人に仕える人です。 イエス様は私たちクリスチャンに謙遜を求めています。そして他のクリスチャン の成長に役に立つ者であることを期待しています。「愛と宣教によるたて上げ」 という聖協団の理念の「たて上げ」に当たる部分です。互いにたて上げ合うとい うことがなければ、教会は教会として立ち行きません。 教会とはたて上げの場と言われなければならないところです。イエス様は「贖い の代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」と十字架による 模範を示されました。私もイエス様の十字架によって立ち直り、今もイエス様の 十字架によってたて上げられつつあります。改めて教会の建て上げのためにキリ ストに仕えていきたいという思いを与えられています。 祝福を祈ります。