今日の聖句 4月14日(木) この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠 く離れている。 イザヤ29:13 神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。 マルコ3:35 *************************** 今週のテーマ:雄々しく生きる きょうの聖書:詩篇62:1-12 詩篇62篇5節〜8節 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、 神のうちにある。 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。 神は、われらの避け所である。 「心を注ぎ出せ」 ダビデの生涯は敵との戦いであり、口汚くダビデを貶す人は後を絶ちませんでし た。ダビデは心に動揺が走るとき神様に祈り、自分の感情を告白しました。祈り の中で神様からの慰めと励ましを受けていたのです。祈りには色々な祈りがあり ますが、自分の心の状態をそのまま神様に告げる祈りも祈りもあるのです。 悔しさ、悲しさ、喜び、嬉しさなどの感情です。「神こそ、わが岩。わが救い。 わがやぐら。私はゆるがされることはない」と神様が自分にとってどんな存在で あるのかも明確に把握し、神様の存在の大切さと、神様に頼ることの大切さを言 い表しています。神様に頼る人の心の動揺はたちまち消えて、平安が心に満ちる のです。 そして、ダビデはこの詩篇の読者とイスラエルの国民に向けて「民よ。どんなと きにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの 避け所である」と神様の前で感情を打ち明けることを勧めています。心を注ぎ出 すとは、感情をぶちまけると言うほどの言葉です。 私の先輩の牧師に恵子先生と呼ばれた人がいました。数年前に天に召されたこの 方は、自分が心を注ぎだして祈る姿を隠さない人でした。板の間に座って、拳で 床を叩きながら「くやしい」と絶叫していた姿を思い出します。とても優しい人 で、何時も積極的に生きていた人でした。優しさと積極性を以て雄々しく生きて いた背後には、主を待ち望み、主に向けて心を注ぎ出す祈りがあったのです。 祝福を祈ります。