今日の聖句 4月9日(土) 私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。 詩篇26:12 毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事を ともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。 使徒2:46-47 *************************** 今週のテーマ:復活の信仰の成長 きょうの聖書:ガラテヤ2:19-21 ガラテヤ人への手紙2章20節 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではな く、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きてい るのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によ っているのです。 「キリストが生きている」 ガラテヤ人への手紙の中で良く知られている言葉だと思います。自分の努力や頑 張りで律法を守り抜き、その褒美として救いを手に入れるという考えは間違って いるとパウロは力説しています。その方法ではだれひとり神を満足させることが できず、誰も「義とされない」のだと言います。 キリストが十字架の上で犠牲となって罪の代価を支払ってくださったことを信頼 することでこそ、救いは届くのです。キリストの十字架の出来事と自分自身を合 致させ、そこで自分も神からの裁きをキリストと一緒に通過したのだと信じ、断 定することで、よみがえられたキリストが私のうちに生き、救いが恵みとして届 くのです。 律法を守り抜く努力は悪いことではないのですが、それによって神の救いを得る という考えには無理があるのだとパウロは語るのです。後の章に紹介されている のですが、律法は私たちが自分で完全に実行し尽くすことができず、救い主を必 要とすることをわからせる意味をもっているのです。 キリストが十字架にかけられた時、わたしも一緒に律法によって断罪され一緒に 神の裁きを通過し、死を通過し、キリストのよみがえりの命の中で一緒に生かし てもらえるようにされたと信じるのです。キリストが十字架で死んだとき、私も 死んだのであり、今私が生きているのは、復活したキリストが私のうちにあって 生きているのだという信仰に至るのです。 祝福を祈ります。