今日の聖句 4月4日(月) かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、 彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろ う。 エレミヤ 31:28 たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。 1コリント 3:7 *************************** 今週のテーマ:復活の信仰の成長 きょうの聖書:ヘブル6:1-8 ヘブル人への手紙6章1節2節3節 私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もう ではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いにつ いての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを 再びやり直したりしないようにしましょう。神がお許しになるならば、私たちは そうすべきです。 「キリストの生き方」 ヘブル人への手紙はこの場面で、私たちに、死んだ行いからの回心、神に対する 信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさ ばきなどは基礎的なことだと言い、更に次の段階に進んで行くようにと信仰の成 長を促してます。 それは、救われるためにはどうするのかという議論を繰り返すのではなく、救わ れた私たちはどう生きていくのかを考えるようにしなければいけないということ です。どうすれば救われるのかという議論の中にとどまり続けると終いには神様 からも信仰からも離れてしまうことになりかねません。 昔から教会では「救われたのは救うため」という言葉が言い交わされてきていま す。信仰はリレー競争にたとえられることがあります。バトンは次の人に渡すた めに私たちに託されたのです。私たちは私たちに与えられた救いを次の人に伝え ていく義務と責任を負っているのです。 それは、自分の十字架を負ってイエス・キリストの足跡につきしたがっていくい きかたです。キリストが私たちを愛したように私たちも愛し合い、キリストが私 たちを赦したように私たちも互いに赦しあう生き方です。キリストの生き方に注 目し、キリストの生き方を自分の生き方としていくという信仰に進みなさいとい うメッセージが語られているのです。 祝福を祈ります。