今日の聖句 3月25日(金) 私は、主の恵みを、とこしえに歌います。 あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。 詩篇89:1 神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に 負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 2コリント5:19 ************************************** 今週のテーマ:主の苦難をしのぶ きょうの聖書:マタイ27:45-56 マタイの福音書27章46節 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。 これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と いう意味である。 「受難日」 神様に見捨てられたということはイエス様の「死」に際して父なる神様がイエス 様の父、また味方という立場から、イエス様の敵の立場に移られたということで す。神様がイエス様の慈父ではなく、罪びとを裁く審判者になられたということ です。 イエス様が「死」によって罪びとの罪を贖ってくださるということは、罪びとた ちが立たされる神の裁きの座に、私たち罪びとに代わって立ってくださるという ことです。神 の一人子であるイエス様が愛と信頼に満ちた父子関係から離れて 義なる審判者と、罰せられる罪びとという関係になっているのです。それが見捨 てられたという言葉で表されたのです。 このイエス・キリストの死こそ旧約聖書にある犠牲の儀式による贖罪の成就であ り、私たち罪びとはイエス・キリストによる贖いにより、創造主である神様を父 なる神様と呼んで近づくことができるわけです。和解の成就であり、良好な関係 の回復、親愛な交わりの誕生とも言えるのでしょう。 イエス様はご自分が父なる神様から捨てられて、犠牲儀式を廃止し、ユダヤ人と 異邦人の隔ての中垣を取り除き、この世とあの世との間に立ちはだかっていた死 の門も排除されました。ですから私たちもイエス様を見てこのお方こそ全人類の 救い主だと褒め称えているのです。今日は受難日です。 祝福を祈ります。