今日の聖句 3月24日(木) 神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」からである。 創世記41:52 彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。 ここを離れないで、目をさましていなさい。」 マルコ14:34 *************************************** ヨハネの福音書13章4節5節 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。そ れから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬ ぐいで、ふき始められた。 「洗足物語」 有名な最後の晩餐の中でのイエス様の洗足物語です。最後の晩餐は聖餐式と直結 しています。聖餐式は私たちにイエス・キリストの十字架の死と復活によるたま しいの贖いを教える儀式です。この洗足物語はイエス様が弟子たちの足を洗うと いう演技によって、罪の赦しとたましいのきよめを教えています。 この洗足物語の教訓の第一は、イエス様の十字架の死によるたましいの贖いの効 果は客観的であるということです。ペテロの例にあるように意味が分かっていて も、いなくても、イエス様の一方的な贖いの御業です。イエス様が救い主として の権威をもって為し遂げてくださった事実なのです。 教訓の第二は、ここに示されたイエス様によるたましいの贖い、きよめの御業は 私たちが天の御国へ入るために必要なことであり、極めて重要な不可欠なことで す。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」と 8節で言われているほど、洗われなければイエス様との関係が生まれず、天の御 国に無関係なのです。 教訓の第三は、イエス様による贖いは十分であり、完全であるというところにあ ります。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです」 と10節で教えられています。イエス様はただ1回の十字架の死で全人類の全て の罪を赦したのです。あっちもこっちもとか、あの罪もこの罪もということはな いのです。信じる前に犯した罪も、クリスチャンになった後に犯すかも知れない 未来の罪も全部赦されているのです。 祝福を祈ります。