今日の聖句 3月14日(月) 主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。 詩篇118:8 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった 助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 ヘブル4:16 ************************************** 今週のテーマ:キリストの死と生にあずかる きょうの聖書:2コリント4:7-15 コリント人への手紙第二4章7節8節9節 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れな い力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるため です。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途 方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨 てられることはありません。倒されますが、滅びません。 「復活の力」 「この宝を、土の器の中に入れているのです」とパウロは言いますが「弱く無価 値な存在である」私たちが「神の力である福音を与えられている」というふうに 考えることができます。その福音はキリストの死と復活に私たちを結び合わせ、 苦難に遭うときにはキリストの死を自覚させ、その先にキリストの復活を期待さ せるものなのだとパウロは言います。 苦難は現実なのですが、その先のイエス様のいのちによる勝利もまた現実だとパ ウロは確信しているのです。パウロの証は壮絶です。苦しめられ、途方に暮れ、 虐げられ、打ち倒されるという日々が使徒パウロと仲間たちの日々でした。福音 の力で行き詰らず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされないという確信を持って いるのです。 イエス様の死といのちをそのように理解し、そのように結びつけているのです。 パウロの信仰は「キリストの死といのちが、わたしの肉体といのちを覆い尽くし ている」というものなのです。パウロが引用した13節の「私は信じた。それゆ えに語った」というみことばは70人訳聖書の詩篇116:10です。新改訳聖書で は「私は大いに悩んだと言ったときも、私は信じた」となっています。この信じ るという言葉はキリストの復活を信じるという意味で使われています。 キリストの復活を信じる人が神様から与えられる希望と力の素晴らしさが語られ ているのです。自分の人生で、その苦しみさえも意味があり、他人への祝福をも たらすためだと固く信じているパウロの思いがこういう言葉の中にはっきり見え てきます。そういう生き方をして福音を届けてくれた人たちのお陰で、私たちに まで福音が届いたのです。 祝福を祈ります。