今日の聖句 3月13日(日) 私が、あなたに私の訴えを打ち明けたからです。 エレミヤ11:20 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのため に苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 1ペテロ2:21 今週のテーマ:キリストの死と生にあずかる きょうの聖書:ローマ6:1-14 ローマ人への手紙6章3節4節 あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私 たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たち は、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたの です。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたよう に、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 「十字架と洗礼」 キリスト教会の洗礼の意味は、キリストを信じた人がキリストの死と生にあずか るということを可視的に行う儀式です。イエス・キリストは私たちの罪の身代わ りとして十字架で処刑されました。本来ならば、罪を犯した私たちが処刑される はずですが、キリストが身代わりになったのです。交代してもらったということ です。それならば、実は私たちが神様の処罰を受けたということです。 私たちが犯した、神の御子が身代わりにならなければならない大罪とはなんでし ょうか。それは、私たちが神様を否定し、神様を無視し、神様に反抗したという 罪です。このような神様に対する罪はどのような手段を用いても解決のしようが ないのです。しかし、この神様を否定するという罪は架空のことではなく、実生 活の中で犯される罪なので、罪を犯す人は大きな苦しみを受けるのです。 私たちはイエス・キリストの死を自分の死であると受け止め、イエス・キリスト の復活を自分と神様の関係の復活であると信じて、罪の赦しと神様との和解をい ただいているのです。キリストが復活したように、私たちも、いのちにあって新 しい歩みをするのです。洗礼式では、キリストが死んだように、私たちの身体は 水に沈められます。そして、キリストが復活したように、私たちの身体は水の中 から立ち上がるのです。 そのようにして私たちは、イエス・キリストの死と生にあずかるという信仰を表 明したのです。死んだ人は決してわがままを言いません。ここで言う死ぬとは、 自己中心性について死ぬということだからです。神様との関係を立て直した私た ちは、神様の基本方針に沿って忠実に生きていくのです。そこに私たちの信仰生 活があるのです。 祝福を祈ります。