今日の聖句 3月9日(水)

わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、
あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。
イザヤ66:22

わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝て
ません。
マタイ16:18

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今週のテーマ:自分の十字架を負う
きょうの聖書:使徒7:50-60

使徒の働き7章55節

聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立ってお
られるイエスとを見て、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右
に立っておられるのが見えます。」

「十字架と聖霊」

ステパノは知恵と御霊に満ちた人だったので、反キリストの人たちと議論しても
ことごとく論破していきました。彼らは議論では勝てなかったので、ステパノを
冒涜罪で告発しました。ステパノは被告席でイスラエルの歴史と聖霊に逆らった
ユダヤ人の罪を指摘しました。それを聞いたユダヤ人たちはステパノに殺到して
石を投げつけて殺してしまったのです。

息を引き取る前「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが
見えます」と言って、神様とイエス様の栄光を褒め称えています。これは、ペン
テコステの日に聖霊が降ってまだ間もない頃のことです。弟子たちはキリストの
復活を語り告げることに命をかけていました。ステパノも文字通り復活を証言し
て十字架を負ったのです。

ステパノにとっての十字架は、聖霊様の指示通りに復活を証言することだったの
です。私たちにとっても十字架を負うとは、自己中心という罪を捨てて、聖霊様
に対して従順に生きていくことだと言えるのです。もし私たちが聖霊様の導きを
侮り、自分勝手な生き方をするなら、ステパノを殺したユダヤ人たちと同罪だと
いうことになります。

ステパノは聖霊に逆らうことが罪なのだということを明らかにして一生を終えた
人なのです。聖霊様は時々刻々私たちに導きを与え続けています。しかし、私た
ちは昨日は聖霊に従っても今日は聖霊の導きを感じられないということがしばし
ばあります。祈りによって聖霊様の導きに俊敏に応答できるように信仰を整えて
おく必要があります。

祝福を祈ります。