今日の聖句 3月8日(火) わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。 出エジプト33:19 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげていま す。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてく ださったからです。 1テモテ1:12 ************************************* 今週のテーマ:自分の十字架を負う きょうの聖書:1コリント4:6-13 コリント人への手紙第一4章11節12節13節 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もあ りません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられる ときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めの ことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。 「高慢と謙遜」 パウロは、教えられたことを超えて高慢にならないようにとコリントの信者に対 して忠告を語っています。そして、それぞれが必要な教えを人から無料で受け取 ったのだから、自分で犠牲を払って獲得したような態度を取るべきではないと諭 しました。私たちが受けたものはほとんどキリストの十字架による賜物です。 コリントの教会の人たちは高慢を指摘され、信仰について自己満足し、大金持ち や王様のような意識になっていることを咎められています。クリスチャンは謙遜 と従順を目ざして成長していくものなのです。クリスチャンが信仰仰を誇り、自 分たちの知恵や知識を誇ることは福音宣教の妨げになるのです。 有頂天になり、高慢になっているコリントの信者たちにパウロは、使徒の実情を 語ります。そこは、飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もない、 というありさまです。にもかかわらず果敢に自分の手で稼ぎ、自分を侮辱する人 を祝福し、迫害に耐え、ののしられるときには、慰めのことばをかけるという生 き方を貫いていると語っています。パウロも自分の十字架を負っているのです。 隣人と生きる、隣人を活かす姿勢を育てつつ、前向きに生きることで知的高慢を 乗り越えるようにという勧めとも理解することができます。いや、本当に深く知 っている人は、高慢にならないものなのでしょうね。知るとは自分の無知を知る ことにつながりますから。そこから「私たちはこの世のちり、あらゆるもののか すです」という言葉が生まれてくるのです。 祝福を祈ります。