今日の聖句 3月5日(土) 私はむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。 それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにあ る。 イザヤ49:4 神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうして いるうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。 マルコ4:26-27 ************************************* 今週のテーマ:貧しい人に施しなさい きょうの聖書:イザヤ58:10-12 イザヤ書58章10節 飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中 に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。 「光を届ける人」 これは礼拝をし、祈りをし、断食をしているユダヤの民に対してイザヤが語った 言葉です。どれだけ宗教行事を行なっても隣人愛がないならばその信仰には実質 がないのだということです。キリストが餓えた者にパンを与え、困窮する人に救 いの手を伸べたように、私たちもキリストに倣って生きることが求められている のです。 パウロはコリント人への手紙第一13章の冒頭で「私が人の異言や、御使いの異 言で話しても愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識と に通じ、また山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の 値うちもありません」と信仰のいのちは愛であることを明らかにしました。 私たちはキリストの真実な愛によって救われたのです。キリストを礼拝する人は キリストの真実な愛に対して忠実に従う者でなければならないのです。そういう 信仰と礼拝の最大の妨げが自己中心という罪です。自分が救われて天国に入れれ ばそれで良いという考えです。自分が神の愛に浸って感謝していればそれで良い というものではないのです。 私たちがキリストに救いを求めるように、私たちに対して救いを求めている人が いるのです。私たちがキリストに訴えるように、私たちに気持ちを訴えようとし ている人たちが大勢いるのです。そういう人たちに愛を以て接していくことが求 められているわけです。飢えている人は愛に飢えています。悩んでいる人は孤独 に悩んでいます。私たちは、はがきや電話とかメールなどを使って声をかけ、気 持ちを聞くことができます。光を届ける人になりましょう。 叔父福を祈ります。