今日の聖句 2月22日(月) 私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留して いる者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。 1歴代誌29:15 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとし ている都を求めているのです。 ヘブル13:14 ************************************** 今週のテーマ:ゆるし きょうの聖書:2サムエル12:13-23 サムエル記第二12章13節14節 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言 った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。し かし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、 あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」 「忠実に生きる義務」 ダビデは生涯で只一度だけ大罪を犯しました。ダビデの家来である戦士ウリヤの 妻と姦淫の罪を犯し、子どもができ、その罪を覆い隠すためにウリヤを激戦地で 孤立させて殺してしまったのです。ダビデは隠そうとしましたが、神様の目には すべてが露わです。犯罪行為というものは決して隠し通すことはできません。 神様は予言者であるナタンをダビデの元へ遣わし、たとえ話を用いて罪を指摘し て悔い改めを求めたのです。ダビデは「私は主に対して罪を犯した」と率直に罪 を認めて悔い改めました。ダビデは、自分が犯した罪はウリヤとバテシバに対す る罪であるだけでなく、神様に対する罪であったことを明らかにして悔い改めま した。誰が犯す罪でも、罪とは根本的に神様に対する罪であるのです。 ナタンは「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった」と罪の赦しを宣告し ました。永遠の愛で私たち人間を愛している神様の愛は神様が私たちの罪を赦す ということにおいて具体的に示されます。これは、神様と罪を犯した人との間に 和解がもたらされるということです。罪を犯した人は罪の結果に対しては責任を 免れることはできません。 バテシバが産んだ赤ちゃんは生きながらえることはできませんでした。更にこの 後、ダビデの家庭の中には争いが絶えなくなりましたが、ダビデは再び罪を犯す ことはせず、神様に対して忠実に生きたのです。ダビデに赦しの恵を与えた神様 は、私たちに対してイエス・キリストの十字架と復活による赦しを与えて和解を 提供していてくださいます。赦された私たちにはダビデのように神様に対して忠 実に生きていく義務があります。 祝福を祈ります。